詳しくは袴田ネットはじめ多くのサイトがあり、リンク等も書かれてるのでそちらを読んでいただけたらと思うけど、ごく簡単な説明を、その袴田ネットから抜粋しておきます。
静岡県中部、静岡市の東に隣接する旧清水市。その東端の町横砂で、1966年(昭和41年)6月30日未明、味噌製造会社の専務宅から出火、全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見されました。焼け跡のガソリン臭から、放火であることも明らかでした。しかし、被害者宅には多額の現金、預金通帳、有価証券がほぼそのまま残されていたので当初怨恨による犯行と考えられていました。
袴田巌さんは、事件当時、現場近くの味噌工場の二階の寮に住み込み、働いていました。
袴田さんにアリバイがなかったこと、事件後左手中指に負傷していたこと(実際には消火活動によって負傷)そして特に元プロボクサーであったことなどから、警察は、はじめから袴田さんが犯人と決めつけていたように見えます。
例えば、事件発生から4日後の7月4日には、警察は、袴田さんの部屋から肉眼ではみえないほど微量の血痕しか付いていないパジャマを押収し、マスコミには「血の付いた衣類発見」と大々的に発表しました。そしてその後、パジャマには微量の血痕や放火に使われたものと同種の油が付着していたとして袴田さんを逮捕し、それをもとに長時間の取調べによって袴田さんに虚偽の自白をさせてしまったのです。
ところが、一審の公判中である1967年(昭和42年)8月31日、工場内の醸造用味噌タンクの味噌の中から5点の衣類(ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツが麻袋に入っていた)が発見され、9月12日には袴田さんの実家に捜索に赴いた警察官が、このズボンと生地・切断面が一致する共布を「発見」しました。
こうして、自白では、犯行時、パジャマを着用していたとされていたにもかかわらず、裁判所は、5点の衣類が殺害行為の際の犯行着衣であるとし、それが決定的な証拠であるとして袴田さんに死刑判決を言い渡し、1980年(昭和55年)に上告が棄却され死刑が確定してしまったのです。
http://www.hakamada.net/hakamatajiken/aramasi.html
当初、強制的に書かされた自白調書では、「パジャマの上に雨合羽を着て侵入し、合羽を途中で脱いで犯行を行い、放火後工場内の風呂場でパジャマを洗った」とされており、それで有罪判決を下しておきながら、一年以上も経ってから、犯行に使ったとされる5点の血染めの衣服が見つかったというのだ。
それまで決定的証拠としてきたパジャマを着て犯行に及んだといったことはなかったことにして、新たにその発見された衣類で犯行を行ったということにすっかり変更してしまった。
ちょうどこないだ書いた「御殿場事件」と同じパターンで、証拠などは世間向けに報道する際の体裁作りに適当にでっちあげるだけで、ハナっから袴田氏を犯人としてなにがなんでも有罪に仕立て上げるという至上命令のようにしか考えられない警察・検察の行動です。
しかも、その発見された衣類というのは到底、袴田氏の物ではないということが明らかなのに・・
5点の衣類は「ねつ造された証拠」だった!
5点の衣類は、裁判所が袴田さん犯行着衣であるとしたもので、有罪判決の決め手となった証拠でした。ところが、それが実は何者かが袴田さんを有罪にするためにねつ造した証拠であることが次第に明らかになってきました。
5点の衣類が発見されたのは、事件から1年2ヶ月も経過した後であり、しかも衣類が入っていた醸造用味噌タンクは使用され味噌が新たに仕込まれてもいました。それでも裁判所が犯行着衣であると認定したのは、衣類に血液が付着し、発見された場所も事件現場の近くだからということなどによるものでした。しかし、そんなことだけで犯行着衣であると断定できるでしょか。そもそも、いつか必ず見つかることになる味噌タンクの中に、真犯人が犯行着衣を隠すなどということがありうるのでしょうか・・・
5点の衣類には、証拠ねつ造をうかがわせる部分、袴田さんのものとは考えられない部分が多数あります。
1.裁判所は、事件直後に袴田さんが味噌タンクの中に隠したと認定しましたが、弁護団と支援団体の実験では、事件直後のタンク内の約80kgの味噌では、タンクの大きさ(底が2メートル四方で、高さ1.6メートルくらい)に比して、味噌の量が少ないため、とても衣類を隠すことができないことが明らかになっています。
2.袴田さんは緑色ブリーフを一枚だけ持っており、5点の衣類の中にも緑色ブリーフが入っていました。ところが、袴田さんの緑色ブリーフは、事件後袴田さんのお兄さんが保管していたのです。裁判所は、お兄さんが嘘をついていると決めつけましたが、5点の衣類の中のブリーフの方がねつ造だと考えられます。
3.袴田さんは、5点の衣類のズボンをはくことができませんでした。小さすぎて太ももが入らないのです。(写真参照)味噌漬けによって生地がほとんど縮んでいないことも明らかにされています。はけないズボンは袴田さんのものではないはずです。
4.5点の衣類の半袖シャツなどの右袖上部の穴や血痕は、袴田さんが犯行時にこれらを着て右腕上部に負傷したときのものとされました。しかし、袴田さんは、消火活動の際に右腕上部に負傷しており、そのとき来ていたパジャマの右袖上部にはカギ裂きが残っています(裁判所は、その損傷は袴田さんが偽装工作をしたとしています)。
弁護団は、即時抗告後、5点の衣類に関して澤渡第一鑑定、澤渡第二鑑定、間壁鑑定を提出しました。澤渡第一鑑定は、衣類の上から刃物などで受傷した場合、体の受傷部位、衣類の損傷部分、血痕の付着箇所の位置関係には一定の「法則」があることを実験によって明らかにした上で、袴田さんの右腕の傷と半袖シャツなどの右袖上部の穴や付着血痕は、その法則に反していることから、それらは全く別の機会にできたものと鑑定したものです。澤渡第二鑑定は、ステテコの血痕は、ズボンの裏生地の血痕よりも鮮明かつ広範囲であることから、ズボンから浸透したものではないとしたものです。間壁鑑定は、ズボンの生地の糸密度と糸数から計算して、もともとのサイズが袴田さんに適合するものより2サイズも小さいものであるとしたもので、いずれの鑑定結果も、これらの衣類が、袴田さんの犯行着衣であるかのように偽装されたねつ造証拠であることを、はっきりと示しています。
http://www.hakamada.net/hakamatajiken/5tennoirui.html
そして当時、死刑判決文を書いた裁判官・熊本氏のことをご存知でしょうか?
熊本裁判官自身は、袴田氏を100%無実と確信していたのです!
しかし裁判は、三人の裁判官による合議制ということで、2:1の多数決で死刑ということになってしまったようだ。
すべての裁判に言えることやけど、中でも特に死刑判決を下すのに、最低、全員一致は必須条件じゃないのか!?
そんないいかげんなあてずっぽうのようなことで死刑にされた方はたまったもんじゃない!
こんなデタラメな証拠で強引に有罪判決を主張した他の二人の裁判官には、例によっておそらく当局から指示なり圧力なりがあったんじゃないかと思われる。
それでは、その熊本裁判官が、「彼は100%無実と確信している、本当に申し訳ないことをした・・・」と無実の人間に死刑判決を下してしまったことを告白し、涙ながらに訴えておられるビデオをご覧ください。
(なお、このビデオには、国民に隠しておきたい当局から圧力がかかってるようで、以前にもすぐに削除されてしまっていたし、今回も自分でDLした後自サイトにUPしたと思ったら、ものの数分で削除されてしまいました(^。^;;
これもいつ削除されるかわかりません。
なので、ぜひ皆さんには各自で保存されることをお勧めします)
その熊本裁判官は自責の念にかられて退官され、残された人生を賭けて袴田氏の再審請求、そして無罪を勝ち取るためできる限りのことをしたいと決意されています。
ブログも開設されてます。(忙しいのか?ほとんど更新はないようですが・・)
熊本元裁判官のブログ裁判官の良心
また、るかちゃの言ノ葉工房あたりでも、袴田事件のことをよく取り上げて記事にされてます。
タグ:袴田事件







