リンク 冤罪・国策・でっちあげ・・権力者による凶悪犯罪!

2008年12月08日

お知らせ

当ブログは、これにて新規記事の更新を終了します。

これまでコメ等いただいた方々には、ご利用ありがとうございました。

これ以降は全記事とも、コメ投稿しないようおねがいします。
(投稿されても読まないし反映もさせません)

なお、当面はブログ自体の削除はしないでこのまま放置して過去記事読めるようにしておくつもりですが、将来的には未定です。

とにかくロムだけで、声を挙げるどころかコメにただの一言すら書けん人間ばかりなのにあきれ果ててる次第です。
自分だけがなんとかそれなりに暮らせたら、他の人のことなどどうでもいい。世の中がどんなに悪い方向に進もうとお構いなし。

そのくせ、いざ自分が何かのことで被害者の立場になった時には周囲に助けを呼びかける・・・

勝手にやってくださいw

いったい皆さんは、どういうつもりでこういった情報を見てるんでしょう?
単に知人たちに、自分はこんなことを知ってるんだと自慢したいだけなんでしょうか?

国の不正を追及して孤軍奮闘していた故・石井紘基議員が刺殺される前に友人宛てに出した手紙の最後にある言葉・・

「・・・こんな国のために、(こんな国民たちのために)、身を挺する必要があるのか・・・」

を改めて皆さんに捧げて終わりの言葉にします。
posted by いんきょ at 15:22| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

国家権力による自作自演テロが裁判で明らかになった「菅生事件」

1952(昭和27)年大分県菅生村で起こった駐在所爆破事件で、
国家権力による自作自演の犯罪が裁判でも明らかにされた貴重な例です。
以下に書くように、この事件の最大の功労者はマスコミで、この頃のようなジャーナリズム精神をぜひとも取り戻してほしいと心から願う次第です。
6月2日の未明、巡査駐在所がダイナマイトで爆破された。
すぐさま張り込んでいた約100名の警官が飛ぴ出して2人を「現行犯逮捕」し、さらに3人が事後逮捕された。

そして第二審の最中の1957年(事件発生から5年後)3月に、共同通信社が懸命の調査をした結果、ダイナマイトを用意した真犯人が現職警察官・戸高公徳であることをつきとめた。
しかもそのダイナマイトは、あらかじめ駐在所内部に仕掛けられていたことも判明した。
それでも検察庁は、『共産党員の犯行である』と言い張ったが、福岡高等裁判所は、58年(6年後)6月9日、彼らに無罪の判決を言い渡し、さらに最高裁でもこれを認めてデッチアゲで捕らえられた彼らの無罪が確定した。
やがて戸高公徳が爆発物取締罰則違反で起訴され、法廷で 上司の命令で「おとり」となって党員を罠にはめたことを証言し、ここに警察は完敗したのである。

すなわち、協力者を装った「市木春秋」と名乗る男が、「カンパを渡すから」と夜の12時に共産党員2人をおびきだし、交番内部に仕掛けた爆弾を爆発させたのだ。

当時めざましい勢いで議会に進出し、活発な活動をし始めていた日本共産党の大幅なイメージダウンを狙って、警察が自ら計画的に引き起こした策略事件である

なお戸高は、ダイナマイトを運搬したことを認め、検察官は、爆発物取締り罰則違反で起訴したが、裁判所は、戸高は上司の命令で運んだので、これを拒否することを期待できる条件にはなかったと、無罪判決をした。
その後、戸高は(ご褒美に)昇進して警祝庁に勤務した。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sugoujiken.htm 

それにしても、なんということか!
これほどのことをやった真犯人が無罪放免の上、ご褒美に昇進とは・・・
そして、この事件を仕組んだ張本人(警察上層部や政府関係者)のことについては書かれてないけど、おそらく同様になんの罪にも問われてないのだろう・・・
これが日本の権力組織の実態だ (;^_^A アセアセ

忘れてたまるか「戸高公徳」
JCJ共同通信支部 Z生〈1968年3月25日発行・第129号〉


8月末の新聞紙面で久しぶりに「戸高公徳」の名前を見た。警察庁の30日付異動で警視に昇進、警察大学特別捜査部研修所の教授に栄転したのだ。都内の夕刊紙の囲み記事で、「あれはずっとむかしの話ですからね。私になんか、もうニュースの価値はないですよ」とタバコを手に語っている戸高の写真からは、警察の中枢部にどっかり腰をおろした余裕さえうかがえた。菅生事件――17年前、大分県の山村で起きた駐在所爆破事件の“主役”としてダイナマイト運搬で起訴され、「刑免除」とはいえ有罪判決を受けて退職した一巡査部長が、警察庁に復職のうえトントン拍子に出世する。――日本の「警察」のナマの顔が、戸高警視のこの写真の裏側にのぞけるようだった。

そのころ法務省や警察庁幹部やは国会答弁で「戸高は27年まで大分県警にいたが健康上の理由で退職、その後については全く知らない。事件とはもちろん関係ない」と断言していた。
 東京と九州を結びながら、ジャーナリズムの活動が始まった。事件発生のさい、警官とともに現場に居合わせスクープした毎日新聞は特に熱心で、欲32年2月、戸高が警察大学の運動会に参加している特ダネ写真をつけて「市木=戸高」の線を打ち出した。つづいてラジオ大分、ラジオ東京、NHKなどが放送の社会報道番組で取り上げた。これらは警察・検察側からは避難されながらも放送界では高く評価され、ラジオ大分の「6月2日午前0時30分」は民放連会長賞を受けた。

●アパート春風荘
 一方、31年暮れごろから戸高を追っていた共同通信社社会部の記者たちは、中野区囲町の警察大学寮からの“転出”先である杉並区荻窪(居住事実なし)などを起点に、情報収集と地どり調査を続けた。“高井戸署管内にTという男をかくまっている”“杉並区和泉町のアパート”“渋谷区猿楽町の高いへいのある家”……そのたびに一つ一つ住民票や配給台帳などからツブしていった。戸高の長女がちょうど学齢期なので学齢児童名簿も丹念に調べた。警察にこちらが動いていることを察知されたらおしまいなので、全く内密に調べなければならなかった。普通なら“デカイ顔”して聞きにいける消防署に、身分を名乗れぬため平身低頭、やっとの思いで管内の間取りを見せてもらったこともある。区役所、税務署、洗たく屋、米屋、ラーメン屋…。木枯らしの中での聞き込み、張り込み、尾行、記録調べなどが続いたあげく、3月13日夕、新宿区番衆町の路地にあるアパート春風荘の1階3号室に踏み込んだ。――ここにいなければ、もうお手上げ…といった気持ちだった。

●平気で記者会見
 何ヵ月かポケットに忍ばせていた結婚写真よりは幾分やせて見えたが、ドアのかげからのぞいたのは間違いなく“戸高”だった。――そして、新宿の夜を戸高をはさんであちこち歩き回ったあげく、やっとあるバーに座らせることができた。しかし、6時間近いあいだ、この「東大文学部研究生・佐々淳一」と名乗る男は口を割らなかった。しの晩、正木ひろし弁護士といっしょに告発状をもって警視総監宅を訪ねたり、警察庁や警視庁幹部に軒並み電話を入れたが、不思議なことにみんな不在。結局、社会部デスクへ警察庁から電話があり、翌日、責任をもって「戸高」を連れていくことを確約したため、14日未明「佐々」を“釈放”した。翌日「戸高」は警察庁三輪警備一課長(前防衛事務次官)に付き添われ、悪びれた様子もなく記者たちの前に現われた。
 戸高の出現で2審の裁判は急展開し、33年6月、全員無罪になった。東大鑑定により、爆破は“内部仕掛け”によるものとされた。検察側の上告も35年12月、最高裁でしりぞけられた。一方、戸高は現場にダイナマイトを運んだ罪で34年9月、福岡高裁で「罪は認められるが刑は免除する」との判決を受けた。

●「かん口令」をしく
 この間、2審の福岡高裁に証人として出廷した共同通信記者あての手紙が開封されていたり戸高捜査に当たった記者たちの電話が盗聴されたふしがあるなど、いろんな奇妙な出来事があった。また共同通信社内では、戸高発見の記事が社会部長の“検閲”で改ざんされ「戸高をかくまっていたのは警察ではないか」という判断材料になりそうな部分は入念に削られて出稿された。社会部長は担当記者たちに外部にはいっさい話すなと“かん口令”をしいたしかし社会部全員による部長への公開質問状や共同通信の労働組合の活動で、1ヵ月余り後に部長は長期欠席のまま交代、やっと“続報”が書けるようになるという“事件”まで起こった。
 それにつけても、菅生事件ほどその発端からジャーナリズムを“縁の深い”事件も珍しい。松川事件と同じように、交番爆破の事実だけが残って“犯人”はいない奇妙な事件なのだ。

●“戸高”はまだいる
 ヒトラーの国会放火などのフレームアップ事件を知識としてしってはいても、日常身近に付き合っている警官たちが自分たちの手で交番を爆破するなど夢にも思えない方が、むしろ普通かもしれない。だからこそ、古い事件をもう一度ふり返って、毎日の奔流の中でとかく流されがちなわれわれ自身に、「警察」や「事件」を見る目を点検する必要がありはしないか。
 それにつけても、2度も警察を“退職”した戸高が、異例の復職のあげく百人に1人強しかいない警察幹部にまで昇進した事実はどういうことか。「戸高が何もかもびちまければ警察の汚い陰謀が明るみに出てしまう。いまも警察の指示で謀略策動に当たっている多くの“戸高”たちへの激励のためにも、上層部としては戸高を大事にしなければならないはず」――という正木弁護士のことばが的を射たものといえそうだ。

http://www.jcj.gr.jp/oldtime/old1965.html

「市木春秋」が国警の現職警察官・戸高公徳であることをつきとめたのは、熱心にこの事件を追っていた新聞記者たちであった。

戦前であったならば、こういった事件は、すべて掲載禁止であり、官憲の不正は徹底的に隠蔽された。
社会正義と言論の自由とが、不可分の関係にある証拠である。
ともかく、今日の日本国民は、旧大日本帝国の臣民ではない。また今日のジャーナリストは、東条英機に恫喝されたジャーナリストではない。
東京の新宿で、仮面の(元)警察官(偽大学生)戸高公徳を発見したのは、共同通信社の6人の若き記者諸君であった。 これは、まことに痛快な出来ごとである。
6年間、犯人を隠匿し、犯罪の証拠隠滅をはかってきた本件の検察当局に、われわれ弁護人たちは社会正義の保障を托することが出来ようか。
戸高公徳ならびに、その背景をなす官憲は、本件の検察官と結托して、偽証をつづけ、裁判所と世間とをダマそうとするだろう。おそるべき国情である
 (弁護士・正木ひろし氏)

しかしながら現実は、逆に以前の体質に完全に戻ってしまっている。
今のジャーナリストは政府に恫喝され、まるで真実を報道することもなく、逆にその手先となって国民を洗脳すべく嘘の情報ばかり流しているし、
裁判官も似たようなもので、権力に対しては 公正な判決が出される事はごく稀である。

市木春秋の書いた駐在所にたいする脅迫文と、彼の逮捕されたときの現場の写真は、検察官の手の中で行方不明になっている
ダイナマイトを手に入れた市木春秋は、騒在所の爆破以後、警察の手でかくまわれ、まる5年近くも行方不明である。
少年や精神薄弱者にたいして供述が強要され、それと捏造証拠とで、無実の人が栽判にかけられる
昭和27年春から、当時の政府が要要望しながら議会で難行していた破壊活動防止法を成立させるための政治的陰謀に警察が一役買ったのではないか・・
駐在所の爆破現場には、報道班までが偶然に(?!)動員されていて、即座に鳴物入りで日共の爆破と大宣伝されたというものも、全くあつらえむきすぎる。
警察の機構と力が政治に利用された見本は昔の特高警察だ。
それ以上のものが復活されようとしている気配が、いたるところに感ぜられる。
(弁護人の一人・岡林辰雄氏)

この事件以外にも、同様と思われる事件が数多くあり、下山事件、三鷹事件、松川事件など・・・
そして最近のデッチアゲとして最も有名な事件としては、植草一秀氏のことがあるし、
さらにはデッチアゲに至らずとも、同様の目的(口封じ、見せしめ等)を持って ごく軽微な罪をこじつけて無理やり逮捕に持っていくやり方は非常に多くみられる。
私の旧ブログで以前書いただけでも、三井環氏、藤田東吾氏、不動産鑑定士・半兵衛氏など・・

国や、警察、検察、裁判官が、そんな不正なことやるはずない! って思い込んでるあなた!!
目を覚ませてくださいね。
これは明らかになった貴重な例ですが、ほとんどは圧力や脅迫、買収、暗殺等によって口封じ・隠蔽され、表ざたになることがないだけで、こういったことは日常茶飯事に行われてるのが現実です。


で、裁判で戸高は「上司の命令でしただけ・・・」ということで無罪判決になっていながら、それならその上司は? ってことになると、そっちはそれ以上追求しないってとこが、こういった権力者犯罪に共通するおもしろいとこなんだよねw

参考URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sugoujiken.htm


(なお、この記事で、これまで姉妹ブログ等に書いていた冤罪・国策事件等に関する主だったものの転載はだいたい終わったので、今後は新たに調べたりしないといけないので、たまに不定期で更新する程度になります。

というか、冤罪関連にはほとんど誰も関心を持たない人が多いみたいなんで、記事更新もこれで終わりにするかも・・・)
タグ:菅生事件
posted by いんきょ at 09:31| Comment(4) | 国策・でっちあげ・自作自演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月15日

裁判官が権力者の言いなり判決を下す原因は、ふざけた給料の仕組みにあった

三井環氏の事件を読み直したり調べたりしてるうちに、古川利明の同時代ウォッチングの中に、裁判官の給料の仕組みについて書かれてる記事が目についた。
この記事のタイトルは、「大スクープ! コレが「最高裁の裏金」捻出のカラクリだ! 」で、その本題自体も大変興味深いものの、今回はとりあえずそっちの部分を中心に紹介したいと思います。

以下、そちらのページから抜粋
・・・「裁判官の報酬月額」(05年11月15日付け裁判所時報より。06年4月1日実施)を最初に記しておきましょう。

 最高裁長官・207万1千円▽最高裁判事・151万2千円▽東京高裁長官・144万8千円▽そのほかの高裁長官・134万1500円▽判事1号・121万1千円▽判事2号・106万6千円▽判事3号・99万4千円▽判事4号・84万3千円▽判事5号・72万8千円▽判事6号・65万4千円▽判事7号・59万2千円▽判事8号・50万3千円(※判事補の報酬月額は省略)

 これにあるように、裁判官(=判事補、判事)は、任官すると、まず、「判事」より1ランク下の「判事補」から始まり、給料は定期的に(だいたい3年とされています)アップしていきます。で、任官20年目ぐらいまでの間に、ほとんどの判事が「4号」にまで昇格します。
 ところが、「4号より上」、つまり、「3号以上」というのは、「どんどん号数が昇格していく判事」と、「そのまま4号に据え置かれたままの判事」に、大きく二分されます(←この部分が重要)
 それと、なかなか判事の給与システムでスゴイのは、「3号以上」になって、「大都市勤務」になると、コレがなぜか、「大都市手当」なるものが加算され(=月収×0・12)、これが年額に換算すると、3号で「143万円」、2号で「153万円」、1号で「174万円」のプレミアムが付きます(笑)

 で、「3号昇格」の分かれ道となる、「判事任官20年目前後」というのは、通常であれば、結婚して、その子供も中高生から、大学生にさしかかる時期ですので、いちばん何かと物入りな時期です。
そして、「勤務先」も、地方のドサ回りをさせられるか、私立を始めとする進学校が集中している大都市とでは、その「教育環境」は雲泥の差です。

 そこで、ざーっと試算してみると、「4号」で据え置かれたまま、地方勤務したままの判事と、「3号」に昇格して、大都市手当がついた判事とでは、ボーナスも合わせて年間で「400万円」、同様に「1号」にまで昇格した判事と比較すると、ぬあんと、ぬあんと、「900万円」もの「格差」が出ます(笑)。
やってる仕事は同じなのに、どうして、これだけ給料(年収)に大格差が出るのか、「市民感覚」からしてみても、不思議というより、異常で、フツーなら、いろいろと生活な不便な田舎の方に「僻地手当」を付けるというのが、まっとうな感覚ですが、どうも、そういうところと最高裁は、まったく感覚がズレまくっています。

 ですから、裁判官のこの「給料格差」というのは、本当にスゴイものがあり、同じ時期に裁判官に任官した人間でも、「4号」で据え置かれたままの人間と、「3号以上」に出世していく人間とでは、ざっと試算しただけでも、これが「10年」続くと、生涯年収で1億円もの差がつくことになります
 これで、このブログにこっそりアクセスしている、超ヒマな皆さんは、もうわかったでしょう(笑)。なぜ、刑事裁判では「検察寄りの判決」(=起訴状の丸写し)のオンパレードで、民事訴訟、とりわけ「国賠」では、原告が勝った試しが、ほとんどないか、が。こういう問題の本質を見ていくには、もうちょっと、「下部構造」をきちんと捕らえないと、ダメです。

 こうやって、裁判官の給料が「4号のままで据え置かれる」のと、「3号以上にガンガン昇給していく」格差が生じていることを、内部では「3号問題」と呼んでいます。一般に「2号」というと、妾や愛人を連想しますが(笑)、サイテー裁では、そこにイーハン(1翻)付いて、「3号モンダイ」というわけです。
 そこで、超オモロイのは、この「3号モンダイ」は、腐れ検察の「チョーカツ」(=調査活動費)と同様、内部では徹底的な「タブー」と化していることです。
 例えば、同じ年次に任官した裁判官で、「なぜ、4号に据え置かれたままの者と、3号以上に昇給していく者とに分かれ、その基準はいったい、どのように決められているのか」ということが、ぬあんと、最高裁当局からは、一切 、明らかにされていない点です・・・

これを読んでもらったら、あとは何も書き足さなくてもわかるかと思います。
つまり、権力者らの意向に逆らって公正な判決を下そうものなら、万年4号給のまま地方廻りをさせられてしまうということです!

これに関連したことは、昨年12月に起こった竹中省吾裁判官の不審死事件があり、当時、ぼやき日記の方で書いたことありました。
裁判官に対する圧力・脅迫〜竹中省吾裁判官自殺??
その中から一部を抜粋すると。
・・・国に都合のよい判決を出した恵庭事件の裁判官たちは、3人とも高裁判事にまで出世。これにひきかえ、違憲判決を出した長沼事件の一審の裁判長はどうなったかというと・・・、その後東北地方の家庭裁判所と簡易裁判所を延々とたらいまわしにされたそうな。京大出身で、高裁判事確実と言われたエリートが、簡裁or家裁の判事で終わったそうです・・・

詳しくは、上記記事を読んでいただきたいと思います。

そしてこの竹中省吾裁判官も、これまで数々の裁判で、圧力等に屈することなく 公正な判決を心がけてこられてた数少ない裁判官であり、亡くなられる直前には、
「住基ネット制度の適用の強制はプライバシー権を著しく侵害する」と違憲判断を示す判決を出したばかり
 
また、「尼崎公害訴訟」では、排ガスと患者の健康被害の因果関係を認め、汚染物質の排出差し止めを認める判決

さらに、「ネスレジャパングループのネスレコンフェクショナリー(神戸市)元契約社員の女性5人が、業務の外注化を理由に雇用期間終了前に解雇されたのは違法だとして、同社に地位確認などを求めて起こした訴訟では、ネスレ側が解雇を撤回し、解決金を支払うことになった

そして、朝銀処理問題において、朝銀がやった“破綻による公的資金投入を見越して、系列ノンバンクへの保証書を作成するという北朝鮮の詐欺にも等しい行為”を“「経営状態の悪化に苦慮する朝銀京都などの利益を犠牲にして、法的根拠もないのに、原告らの利益を図って行われたと推認され、公序良俗に反し、無効というべきだ」”とし、預金機構側の“「全国規模で金融破綻処理制度を悪用して公的資金獲得を意図したからくりの一環だ」”という主張を全面的に認め、朝銀が破綻前に出した「保証書」そのものを“「破綻を加速させるような危険な行為だ」”として無効と判断した。
まさに、北朝鮮の犯罪行為を断罪した画期的判決だった。

話戻って古川利明氏の記事で、ついでに本題の部分も少しだけ紹介しておくと、
内部告発の核心になりますが、じつは、予算措置上は「3号(以上)」で請求しておきながら、実際に支給する給料は、金額を「4号」のまま据え置いて、その「差額」を「最高裁の裏金」としてプールしている点です。
 その証拠に、裁判所の内部では、「4号になってからは、自分の報酬号数を他に漏らしては、ならない」という不文律があるというのです・・・

一般官庁に関する裏金問題はマスゴミでもいくつか報道されたけど、三井氏による検察の裏金問題、仙波氏による警察の裏金問題に続いて、ついに最高裁に於いてですらこういったことが行われてることが暴かれたわけで、そんな平気で法律を破ってる人間が、あらゆる裁判を裁いてるわけやからね!w


関連記事:なんと、法を守り人を裁くべき最高裁も法を犯し裏金!
posted by いんきょ at 12:52| Comment(0) | 一般時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

死刑判決を下した裁判官自身も無実を確信していたと告白!〜袴田事件

袴田さんという名前をもし知らない人がいても、元プロボクサーの死刑判決冤罪事件と言ったらほとんどの人が耳にしたことぐらいはあるかもしれない。

詳しくは袴田ネットはじめ多くのサイトがあり、リンク等も書かれてるのでそちらを読んでいただけたらと思うけど、ごく簡単な説明を、その袴田ネットから抜粋しておきます。

静岡県中部、静岡市の東に隣接する旧清水市。その東端の町横砂で、1966年(昭和41年)6月30日未明、味噌製造会社の専務宅から出火、全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見されました。焼け跡のガソリン臭から、放火であることも明らかでした。しかし、被害者宅には多額の現金、預金通帳、有価証券がほぼそのまま残されていたので当初怨恨による犯行と考えられていました。

袴田巌さんは、事件当時、現場近くの味噌工場の二階の寮に住み込み、働いていました。

袴田さんにアリバイがなかったこと、事件後左手中指に負傷していたこと(実際には消火活動によって負傷)そして特に元プロボクサーであったことなどから、警察は、はじめから袴田さんが犯人と決めつけていたように見えます。

例えば、事件発生から4日後の7月4日には、警察は、袴田さんの部屋から肉眼ではみえないほど微量の血痕しか付いていないパジャマを押収し、マスコミには「血の付いた衣類発見」と大々的に発表しました。そしてその後、パジャマには微量の血痕や放火に使われたものと同種の油が付着していたとして袴田さんを逮捕し、それをもとに長時間の取調べによって袴田さんに虚偽の自白をさせてしまったのです。

ところが、一審の公判中である1967年(昭和42年)8月31日、工場内の醸造用味噌タンクの味噌の中から5点の衣類(ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツが麻袋に入っていた)が発見され、9月12日には袴田さんの実家に捜索に赴いた警察官が、このズボンと生地・切断面が一致する共布を「発見」しました。

こうして、自白では、犯行時、パジャマを着用していたとされていたにもかかわらず、裁判所は、5点の衣類が殺害行為の際の犯行着衣であるとし、それが決定的な証拠であるとして袴田さんに死刑判決を言い渡し、1980年(昭和55年)に上告が棄却され死刑が確定してしまったのです。

http://www.hakamada.net/hakamatajiken/aramasi.html

当初、強制的に書かされた自白調書では、「パジャマの上に雨合羽を着て侵入し、合羽を途中で脱いで犯行を行い、放火後工場内の風呂場でパジャマを洗った」とされており、それで有罪判決を下しておきながら、一年以上も経ってから、犯行に使ったとされる5点の血染めの衣服が見つかったというのだ。

それまで決定的証拠としてきたパジャマを着て犯行に及んだといったことはなかったことにして、新たにその発見された衣類で犯行を行ったということにすっかり変更してしまった。
ちょうどこないだ書いた「御殿場事件」と同じパターンで、証拠などは世間向けに報道する際の体裁作りに適当にでっちあげるだけで、ハナっから袴田氏を犯人としてなにがなんでも有罪に仕立て上げるという至上命令のようにしか考えられない警察・検察の行動です。

しかも、その発見された衣類というのは到底、袴田氏の物ではないということが明らかなのに・・
5点の衣類は「ねつ造された証拠」だった!

5点の衣類は、裁判所が袴田さん犯行着衣であるとしたもので、有罪判決の決め手となった証拠でした。ところが、それが実は何者かが袴田さんを有罪にするためにねつ造した証拠であることが次第に明らかになってきました。

5点の衣類が発見されたのは、事件から1年2ヶ月も経過した後であり、しかも衣類が入っていた醸造用味噌タンクは使用され味噌が新たに仕込まれてもいました。それでも裁判所が犯行着衣であると認定したのは、衣類に血液が付着し、発見された場所も事件現場の近くだからということなどによるものでした。しかし、そんなことだけで犯行着衣であると断定できるでしょか。そもそも、いつか必ず見つかることになる味噌タンクの中に、真犯人が犯行着衣を隠すなどということがありうるのでしょうか・・・

5点の衣類には、証拠ねつ造をうかがわせる部分、袴田さんのものとは考えられない部分が多数あります。

1.裁判所は、事件直後に袴田さんが味噌タンクの中に隠したと認定しましたが、弁護団と支援団体の実験では、事件直後のタンク内の約80kgの味噌では、タンクの大きさ(底が2メートル四方で、高さ1.6メートルくらい)に比して、味噌の量が少ないため、とても衣類を隠すことができないことが明らかになっています。

2.袴田さんは緑色ブリーフを一枚だけ持っており、5点の衣類の中にも緑色ブリーフが入っていました。ところが、袴田さんの緑色ブリーフは、事件後袴田さんのお兄さんが保管していたのです。裁判所は、お兄さんが嘘をついていると決めつけましたが、5点の衣類の中のブリーフの方がねつ造だと考えられます。

3.袴田さんは、5点の衣類のズボンをはくことができませんでした。小さすぎて太ももが入らないのです。(写真参照味噌漬けによって生地がほとんど縮んでいないことも明らかにされています。はけないズボンは袴田さんのものではないはずです。

4.5点の衣類の半袖シャツなどの右袖上部の穴や血痕は、袴田さんが犯行時にこれらを着て右腕上部に負傷したときのものとされました。しかし、袴田さんは、消火活動の際に右腕上部に負傷しており、そのとき来ていたパジャマの右袖上部にはカギ裂きが残っています(裁判所は、その損傷は袴田さんが偽装工作をしたとしています)。

弁護団は、即時抗告後、5点の衣類に関して澤渡第一鑑定、澤渡第二鑑定、間壁鑑定を提出しました。澤渡第一鑑定は、衣類の上から刃物などで受傷した場合、体の受傷部位、衣類の損傷部分、血痕の付着箇所の位置関係には一定の「法則」があることを実験によって明らかにした上で、袴田さんの右腕の傷と半袖シャツなどの右袖上部の穴や付着血痕は、その法則に反していることから、それらは全く別の機会にできたものと鑑定したものです。澤渡第二鑑定は、ステテコの血痕は、ズボンの裏生地の血痕よりも鮮明かつ広範囲であることから、ズボンから浸透したものではないとしたものです。間壁鑑定は、ズボンの生地の糸密度と糸数から計算して、もともとのサイズが袴田さんに適合するものより2サイズも小さいものであるとしたもので、いずれの鑑定結果も、これらの衣類が、袴田さんの犯行着衣であるかのように偽装されたねつ造証拠であることを、はっきりと示しています。

http://www.hakamada.net/hakamatajiken/5tennoirui.html


そして当時、死刑判決文を書いた裁判官・熊本氏のことをご存知でしょうか?

熊本裁判官自身は、袴田氏を100%無実と確信していたのです!
しかし裁判は、三人の裁判官による合議制ということで、2:1の多数決で死刑ということになってしまったようだ。

すべての裁判に言えることやけど、中でも特に死刑判決を下すのに、最低、全員一致は必須条件じゃないのか!?
そんないいかげんなあてずっぽうのようなことで死刑にされた方はたまったもんじゃない!

こんなデタラメな証拠で強引に有罪判決を主張した他の二人の裁判官には、例によっておそらく当局から指示なり圧力なりがあったんじゃないかと思われる。

それでは、その熊本裁判官が、「彼は100%無実と確信している、本当に申し訳ないことをした・・・」と無実の人間に死刑判決を下してしまったことを告白し、涙ながらに訴えておられるビデオをご覧ください。
(なお、このビデオには、国民に隠しておきたい当局から圧力がかかってるようで、以前にもすぐに削除されてしまっていたし、今回も自分でDLした後自サイトにUPしたと思ったら、ものの数分で削除されてしまいました(^。^;;
これもいつ削除されるかわかりません。
なので、ぜひ皆さんには各自で保存されることをお勧めします)




その熊本裁判官は自責の念にかられて退官され、残された人生を賭けて袴田氏の再審請求、そして無罪を勝ち取るためできる限りのことをしたいと決意されています。
ブログも開設されてます。(忙しいのか?ほとんど更新はないようですが・・)

熊本元裁判官のブログ裁判官の良心

また、るかちゃの言ノ葉工房あたりでも、袴田事件のことをよく取り上げて記事にされてます。
タグ:袴田事件
posted by いんきょ at 13:41| Comment(1) | 一般冤罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

保土ヶ谷事件〜警察と監察医の隠蔽工作(解剖もせず他人の臓器を証拠として提出!)に、裁判官も加担

マスコミでは「保土ヶ谷保護責任者遺棄致死事件」として報道されてたみたいだけど、実際は警察官による「死体遺棄」事件、もしかしたら警察署内で亡くなったという可能性すらあり、警察・監察医・裁判官らが一体となった組織ぐるみの「隠蔽工作」事件だ!!
なにより極めつけは、実際に解剖してもいない遺体を解剖したと言い、他の事件の遺体からホルマリン漬け保存してあった全く別人の臓器を当人の物として証拠提出した警察・・・・

   参考ドキュメント動画ページ (ザ・スクープ)

平成9年7月19日午前0時半ごろ、保土ヶ谷区三ッ沢上町の交差点内に、ハザードランプを点滅させている一台のジープがあった。(現場B)左前輪はパンクし、前フェンダは左右に凹みがあり、フロントガラスには、運転手が頭部をぶつけたと見られるクモの巣状のひび割れが入っていた。
運転席には男性(久保幹郎氏)が昏倒していて、それを目撃した付近住民(第一通報者)の通報で保土ヶ谷署のパトカーが現場に駆けつけた。
しかし、パトカーの巡査2名は、なぜか男性を道路脇に移動(現場C)しただけで元の警ら活動に戻ってしまう。男性は午前11時ごろ、別の住民(第二通報者)によって発見され、横浜市立病院に搬送されたが既に死亡していた。

遺体に何らメスの痕跡がなかったにも関わらず、監察医(伊藤順通医師)により司法解剖が行われたことになっていて、死因を「心筋梗塞」とする「死体検案書」が書かれていることを知った。
実際に解剖をしたなら関係書類など証拠を見せよと迫った遺族に対し、監察医は「そんなもんあるか。おれも警察の被害者だ。そんなものは警察に言え!」(遺族談)と暴言を吐いたという。伊藤勝也保土ヶ谷署長(当時)も「死んじまったもんは、しょうがねえじゃねえか」と遺族に言ったとされる。
事故車内に男性を放置した理由について、パトカーの警察官らは「酒に酔っているものと考え、醒めれば自力で帰宅できるだろう」と考えたとする。なお、免許証・車検証は捜したが見つからず、脳内出血を疑わせる「フロントガラスのひび割れ」も「暗くてよく見えなかった」とした。(なお、病院の検査で血中からアルコールは検出されておらず、警察官は後日、裁判の中では「ひび割れを発見した」と前言を翻している。)

夫人は、警察官らを保護責任者遺棄致死、監察医を虚偽検案書作成の罪名で刑事告訴、事の真相究明を横浜地検に訴えた。しかし、事件を担当した土持敏郎検事は、平成12年2月23日、男性を事故車内に放置して死亡させた警察官らの責任については「過失は否めないが故意ではないので責任は問えない」とし、また、監察医については「関係者の証言から司法解剖はされている」として夫人の訴えを退け、不起訴処分とした。

保土ヶ谷事件の記録より

詳しいことは各自読んでもらうとして・・・

とにかく監察医が 解剖することもなく偽の遺体検案書を書き、ホルマリン漬け保存してあるという臓器は、まるで別人の物であり、DNA鑑定や数々の証言があるにもかかわらず裁判官までもが警察の隠ぺい工作の味方をしている。

証言例1:(遺体検案にも立ち会った葬儀社社員)
私は、その男性の遺体を同研究所の解剖室に移動し、解剖台の上に横たえました。解剖室の隣の部屋で警察官と伊藤医師がしばらく話しをした後、伊藤医師が解剖室に出てきました。
その後、伊藤医師は遺体に近づき、私が横向きにした遺体に後頭窩穿刺(後頭部に注射針を刺して脳脊髄液を採取する検査)を行い、脳脊髄液に血が混じっていないことを確認していました。そしてその後、伊藤医師は、遺体の解剖を行わないまま、「死因は心筋梗塞。」と警察官に告げると、解剖室から出ていきました。伊藤医師が解剖室にいたのは、5分から10分ほどでした。
私は伊藤医師のことは12年ほど前から知っております。この間、伊藤医師のもとへ運んだ遺体は1000体位はあると思います。
そのうち遺体の解剖をする率は3割位だと思います。伊藤医師が遺体の解剖を行う時は、搬送した葬儀社の社員も解剖室で立会います。伊藤医師は、遺体の解剖を行う時は喉元からメスを入れ、性器の上3cm位のところまで切り開き、肋骨を切り、心臓などの臓器を取り出し、見分します。警察官は、その様子を写真に撮影します。
臓器の重さを計ったり、遺体を縫合する作業は伊藤医師が行なわず、葬儀社の社員が行う慣例であり、私自身もたこ糸で遺体の縫合を行ったことは何度とあります。伊藤医師には助手が一人もいないからです。
伊藤医師が遺体の解剖を行わないで死因を心筋梗塞と告げることは、久保さんの件以前にもしょっちゅうありました。
伊藤医師が久保幹郎氏の遺体の解剖を行っていないことは間違いありません

保土ヶ谷区内に株式会社大船葬儀社というのがありまして,大きな葬儀社。そこの社長が,交通安全協会と警友会の会長をやってまして,100%交通死亡事故の場合,仏さんはそちらのほうで扱うことになってます。それが慣例なんです。
それで変だなと思った。交通事故で亡くなったのに,何でうちに来たんだろうと。

証言例2:(横浜市民病院・医師)

1997年7月19日午前11時ころ、横浜市立市民病院で勤務中に、救急車で後に久保幹郎さんとわかったご遺体が搬送されて来ました。そのとき救急隊の方から、ご遺体は「身元不明者」であるという説明を受けました。搬送されてきたときすでに体温が冷たくて死後硬直をしており、時間的に少し前に死亡したという感じでは全くありませんでした。一応、蘇生もやりましたが、午前11時22分に死亡確認をしました。その時点で死後少なくとも5〜6時間は経過していると思われました。その根拠は、私がご遺体から血液を採取して検査したところ、LDHの値が1000を超えていたためです。これは溶血が起こっているためであり、そのことから、少なくとも死後5〜6時間経過していると推定致しました。
その他に、血液の検査から分ったことについて申し上げます。ひとつは、血液中のK(カリウム)濃度が9という高濃度であったことです。K濃度が9で生存しているということは考えられません。余談になりますが、アメリカのミステリー小説で足の指の間からKを注射して完全犯罪を狙ったと言うものもあるくらいです。大分前に亡くなり、死後、赤血球が壊れた溶血によって濃度が高くなったと考えられます。血液中のK濃度は、細胞組織が破壊されると高くなります。もうひとつは、γGOTの値やγGPTの値が低く、それぞれ100にも満たないことがわかりました。このことは、死因が心筋梗塞であることと矛盾します。死因が心筋梗塞であれば、γGOTの値やγGPTの値は何百という値になることが通常だからです。
ご遺体を外から見た様子ですが、酒臭はありませんでした。また、死体検案書には膝とか腰に擦過傷があると記載されてあるそうですが、そのような擦過傷はありませんでした。遺体には傷がなく、きれいな状態でした。背中側の腰と胸の間、右半身側に500円玉大の楕円状のへこみがあることが印象に残りました。

証言例3:(地裁判決文内より)

上記鑑定書は,各臓器の重さや大きさの測量結果に至るまで事細かに記載した非常に詳細なものであり,これらすべてを記憶して再現し作成することはやや困難であると認められる。この点,伊藤は,本人尋問において,本件解剖中に自ら臓器の計測を行い,手袋についた血をぬぐったり手袋を取り替えたりしながらメモをとった旨供述し,伊藤の陳述書(乙B14 )にもこれに沿った記載部分がある。しかしながら,斎藤及び井上は,伊藤が解剖中に臓器の計測を行ったりメモをとったりするところは見ていない上(証人井上,被告斎藤本人),伊藤の供述するようなメモの取り方をしながら,わずか1 時間程度の間にこれほど詳細な解剖を行うことができたかも疑問であって,伊藤が解剖に熟達していたことを考慮しても,上記鑑定書に記載されたとおりの詳細綿密な解剖行為があったとみることはできない。

証言例4:(
横浜検察審査会の議決文より)
被疑者伊藤が、横浜地方裁判所に係属する民事訴訟において、亡久保幹郎(以下「亡久保」という。)の臓器であるとして提出した心臓、臓器片、ブロック標本及びプレパラート標本等の証拠は、検察庁が依頼した鑑定の結果、すべて同一の血液型B型の女性のものであることが判明した

証言例5:法医学者
鑑定書には頭皮、顔面、頚部とも「蒼白」と書かれているが、病院で撮影された亡幹郎の写真は、一目見ただけで、うっ血が顕著であり、死斑も強く、皮膚の色が蒼白とは判断し得ない。(注:人は血液ポンプである心臓が止まると、血が重力の法則に従って体の低い位置に溜まり、赤紫色の死斑となって体表に現れる。久保幹郎氏は死亡から約8時間後、頭部が助手席の足元付近にもぐりこんでいるような形で発見されたので、頭部全体が真っ赤であった。)

上記引用と同じサイトより

他にもいっぱい書かれてる中の一部を書いたけど、こういったことから、解剖はされておらず、ホルマリン漬けしてあった臓器というのも、上記証言4に書かれた別事件時の心筋梗塞だった女性の物を、被害者の物だと偽って提出したのが明らかだ。
にもかかわらず、これまで刑事裁判二回、民事裁判一回が行われたが、いずれも警察の隠蔽工作に加担した判決に終わっており、今なお裁判は続いている・・・

次回控訴審
12月14日(木) 東京高裁第4民事部817号法廷
担当:門口正人裁判長

(ここまで、昨年10月に書いた記事から転記)


そして、今年9月6日に控訴審判決があり、控訴棄却!
ここでもやはり、権力組織に対しては、真実を示すいかなる証拠・証言があろうとも判決が覆ることはなかった・・・
控訴審の結果について、テレビ朝日・スーパーモーニング 平成19年9月14日放送で、わかりやすく報道されているようです。

遺族の方は、このようなイカサマ裁判に幻滅、期待が持てないという気持ちから、無念の思いを残しながら上告を断念されました。

十年間がんばってきて、どんなに証拠を集めてもイカサマ裁判をやられたのでは意味ありません。
すっかり疲れ果てられたのでしょう。
その無念さは、私なんかが思うよりはるかなもののはず・・・

それでも、こうやって戦ってこられたことで、公正な判決を見ることはできなかったけど、多くの人たちが裁判のイカサマぶりを知ることになったという点では成果もあったかと思います。
本当にお疲れさまでした。

原告(ご遺族)の方からのメッセージ
     「皆様へ」「県警の皆様へ」

一部始終が、「保土ヶ谷事件の記録」に詳しく書かれています。 ぜひご覧いただきたいです!
 

posted by いんきょ at 11:25| Comment(0) | 国策・でっちあげ・自作自演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月05日

検察庁が裏金作り遊興費に使ってたことを内部告発した三井環・元高検部長を国策逮捕

大阪高検の三井環公安部長の不法逮捕

2002年4月、当時現役だった大阪高検の三井環部長が、「私は、検察庁が国民の血税である年間5億円を越える調査活動費の予算を、すべて私的な飲食代、ゴルフ、マージャンの「裏金」にしていることを、現職検察官として実名で告発する決意を固めていました。」と内部告発し、22日、テレビ朝日のザ・スクープのインタビューを受けて収録をする手はずであり、後日には衆院法務委員会に出席して証言を行う予定が定められていた。
その日の朝の逮捕であった


氏の逮捕理由は、@新しく購入したマンションに住んでいないのに住民票を移し、不動産登記に伴う登録免許税の軽減措置適用を受けて、登録免許税約48万円相当の納付を免れようとした詐欺罪である。A逮捕後に、指定暴力団幹部から情報提供を頼まれ、その見返りに高級クラブでの接待や、デート嬢の世話を受けた(飲食24万円余とホテル代など8万円余、計32万円余)という収賄罪を加えて再逮捕した。

この逮捕理由について、ジャーナリストの立花隆氏は、「これはおかしいと思った。大阪地検の公安部長を逮捕するには嫌疑が軽すぎる。しかも動いたのが、市井の軽微な犯罪を摘発する警察でなく、政治家や高官の犯罪などを摘発する地検特捜部で、形式犯罪でたかが47万円の税金逃れ(この金額では脱税にもならない)を押さえるとは考えられない(三井氏は、実際に住むためのマンションで、その形式犯罪も犯していない)。」と主張。
元共同通信記者の魚住昭氏も「税金をちょっと安くしてもらおうとウソの転入届を出したという形式犯罪で、特捜部が身内の高検部長を逮捕するとは…。これほど恣意的な権力行使は過去にほとんど例がない。再逮捕容疑の32万円の接待というのは、官僚幹部を立件するには少なすぎる金額で、テレビ出演の朝の緊急逮捕は「口封じ」が狙いとしか思えない。」と書いている。

こんな金額の微罪で逮捕、拘留1年間。 その間に全ての検察で証拠は消滅した。 22日、森山法相は 「前代未聞ということでありまして、検察官の名誉をはなはだしく汚した」 と言う声明文を読み上げ、裏金にもっとも恩恵によくしている原田明男検事総長が他人事のように謝罪した。 まるで茶番だ。

三井氏不当逮捕が最終的に決まったのは、2002年4月20日原田検事総長、法務省、検察庁の首脳が出席した会議の場だ。 これを受けて大阪地検特捜部の担当検事が大阪地裁に逮捕状の請求をしたのは、翌日4月21日(日曜日)の夜、逮捕状が裁判所から出たのは翌22日の午前零時だった。 いかに今回の不当逮捕劇が唐突に起こったかが分かる。

週刊誌でこの問題を最初に取り上げた週刊朝日の編集長山口一臣氏は三井環氏とのインタビューを通しての印象をザ・スクープの中で、「彼は検察と言う仕事に誇りを感じていて、検察が正義を担っている事に自負心を抱いていた。 その検察が裏でこんな汚い事をやっていることがどうしても我慢できなかった。 そして自分自身もそれに手を染めていたという事が許せなかった。 最終的にはそれを世間に明らかにして検事を辞めると言うのが彼の生き様だった。」 と述べている。

2002年7月30日三井環公安部長の初公判が大阪地方裁判所で行われた。 冒頭で三井環氏側から公訴棄却の申し立てをしたが裁判官は保留とした。

検察の裏金作りの実態として読み上げた内容の冒頭に 「検察庁には調査活動費という予算があります。 中小地検では年間約400から500万円、東京地検では約3000万円、大阪地検では約2000万円と、その庁の規模によって予算が示達されます。 それが全て裏金として処理され、幹部の遊興費に当てられている。」 とここまで、調査活動費の裏金流用を認めている検察関係者がいても法務省は調査活動費の裏金流用は認めない。

前検事対現検事の全面対決。 意見陳述の最後に、いきなり立ち上がった三井被告は、検察側をにらみつけ強い口調でこう言い放った。 「どちらが正義なのか!どちらが犯罪者なのか! どちらが卑劣な人間なのか、よく考えていただきたい!

検察側にいるかつての後輩達に、「私の事件は風が吹けば飛ぶようなもの、しかし原田検事総長らの犯罪は金銭も多額で重大だ。 最後に一言、どうして私が被告席にいるのか、ここに座るべきは原田明夫検事総長、松尾邦弘元法務事務次官、加納駿亮(しゅんすけ)福岡高検検事長、東条信一郎・・・・」と8名の名前読み上げた。 

この日、全てのメディアはこの事件をまったく報道せず無視した・・・

逮捕当時の新聞報道は検察の思惑通り→
(画像は、news web japan より)



それから約3年、小泉内閣の森山真弓法相は、週刊誌の報道をもとにした野党議員の質問を受け、「検察の裏金は事実無根」と答弁するが、2002年5月7日に文芸春秋と新潮社に、元検察庁副検事であった高橋徳弘氏の実名入りの告発文書が届く。
 
『拝啓(略)突然ですが、私は平成8年まで、検察庁に副検事として勤務していた者です。つい最近、大阪高検の公安部長が逮捕される事件に関連して「調査活動費」の件が再度クローズアップされているようですが、私自身、検察庁勤務時代から数年にわたって「調査活動費」に係わっていた時代があります。今回の事件で、森山法相は、調査活動費について「かつてそういう話が出た時、調査して事実無根との結果が出ている」との見解を示しましたが、(略)「公金流用」が事実無根ではなかったことを証明しようと筆を執りました。(略) 公安事務課から依頼された多数の領収書に「高橋正彦」の名前を書いていく。(略)私が担当していた部分は、領収書の偽造で、当時依頼された文書と領収証などを持っています。(略)当時、私が勤務していた検察庁をお調べいただければ真実が明るみに出ると思います。ご連絡預けば、更に詳細な話と証拠書類をご提供いたします。なお、検察庁に勤務していたことを証明するものも同封いたしました。  敬具』 
というものである。

仙台、福島と続々 検察の不正追求の手が挙がっている。
http://www.kyudan.com/opinion/kensatsu2.htm
http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Dokusyo/71uragane.htm 他より

冒頭部分を読まれてわかるように、三井氏がテレビ朝日のインタビューに応じて収録するその日に逮捕されたわけで、口封じ目的以外のなにものでもありません!
これと同じようなことは植草氏事件でもあったのを覚えておられるでしょうか?
ゴミズミ改革のイカサマぶりを曝露した本を出版しようとした直前に例の容疑をでっちあげられて急遽逮捕されたわけです。


テレビ朝日のザ・スクープで放送されたわかりやすいビデオが3本あったんですが、どうやら今は削除?されてしまってるようです。
別のが一部見れるようなので、一応そのページ載せておきます。

  追及!「検察の裏金」疑惑〜三井被告が獄中告白!これが裏金作りのカラクリだ〜

また、news web japanにも三井氏の証言ビデオがあります。

現役検察官等複数の内部告発を受けてもなおシラを切り通し、比較的軽微な犯罪、それもつかめない場合は無理やり犯罪をでっちあげて強引に逮捕し、それ以上喋られないよう口封じする政府関係者と検察上層。(虚偽の答弁をして国民を欺いた森山法相などは極刑に価する
また、ザ・スクープによる全国2百人の検察関係者への聞き取り調査でも、何人かがその事実を認めただけで、大半の人間は知らぬ存ぜぬで押し通し、若しくは良心の呵責に耐え切れず否定はせずにかろうじてノーコメント・・・
この事件だけを見ただけでも、日本の検察がいかに腐りきってるかわかろうというもの。
最近話題になっている植草氏や藤田氏のことも含め ありとあらゆるところで、政府・検察・警察、さらには司法、マスコミも加わって、こういった隠滅や口封じの工作、判決の内容指示(圧力)などが、日常茶飯事に行われてるのだ!
すべてはやつらが、私腹を肥やし、悪事がバレないようにするため、あらゆる機関に対し恐怖を植え付けたり、悪事の片棒をかつがせたり・・・
こういった方法で手ぬるい場合、あるいは常に恐怖心を忘れさせないように時々定期的に?暗殺したりする。
一般に大きな事件で、当事者が自殺といった報道がされることがよくあるけど、実際はその大部分が、暗殺若しくはそれに準ずるもの(たとえば自殺しなかったら家族に対して何かをするとかいった脅迫等)だろうと私は思っている。

そして、上記裁判で、さらにとんでもないことが起こった!
大阪高裁、「三井環口封じ逮捕事件」公判の審理打ち切りの仰天情報!

明日(10月26日)の確か午後1時か、1時半か忘れましたが、大阪高裁で開かれる三井環のオッサンの第3回公判において、裁判長がいきなり、審理を打ち切り、証人尋問などの実質的な審理は全く行わないで、次回の第4回公判において、ぬあんと、ぬあんと、腐れ検察の「論告求刑」に持っていくというのです。
まあ、最初は「びっくり」ですが、少し時間が経って、落ち着いてくると、「またか」、「やっぱり」というカンジで、「ヤレヤレ、ふーっ」と、深呼吸をしています。 

この三井裁判の「異常な展開」については、本硬派ブログにこっそりアクセスしている、ヒマな方々であれば既にご承知でしょうが、いちおう念のため、おさらいしておきます。
一審の大阪地裁で判決があったのは、去年(05年)2月1日のことですが、これも、ぬあんと、事前に「判決文」がリークされ、実際に裁判長の宮崎英一が言い渡したそれも、ほとんど同一だったということは、ご記憶に新しいと思います。

さらにビックリすることに、このときの判決の全文が、なかなか裁判所から出てこず、三井環のオッサンから「こんなことはありえない」と相談を受け、私が昨年の6月上旬ですが、この「判決言い渡しから4ヶ月以上が経過しても、判決の全文が出てこない異常事態」を本硬派ブログでスッパ抜きました。
 すると、それから1週間ほどが経過した6月の中旬になって、突然、大阪地裁の方から、その判決の全文が三井のオッサン&弁護団の方に送られてきたのです(笑)

例の麻原裁判では、弁護団が二審で控訴趣意書を期限まで出さなかったために、結局、「裁判打ち切り」というトンデモない事態を招いてしまいましたが、三井のオッサンの場合は、「控訴趣意書を書きたくても、裁判所から判決の全文が出てこないから、書けないし、高裁にも提出できない」という、全く逆の状況だったのです。
ついでですので、このすぐ後に、薬害エイズの著作で、小林よしのりに「薬害魔王」の称号が与えられていた安部英というジイサンに、私と同じ売文業者である櫻井よしこが、名誉毀損で訴えられていた例の裁判が、最高裁において"無罪放免"の判決が出ていたことだけを、簡単に申し添えておきます(#いいか、櫻井よしこ、ワシは体を張って、こうやって権力と大ゲンカしとるんやからな。同じ長高出身者として、よく覚えておけ)

そこで、三井のオッサンの控訴審は、大幅に遅れること、ぬあんと、今年の7月10日に第1回の公判があり、続く、7月18日に第2回があって、その後は、裁判所の「夏休み」が入って、明日(10月26日)が、第3回の公判期日なのです。
んで、当然、三井のオッサン&弁護団はこの二審でも全面的に争っていますので、まず、その第1回の7月10日付けで、三井のオッサンは控訴審用の「陳述書」を提出し、そこで一審判決後に新たに判明した事実関係にも言及しながら、この3回目の公判以降、弁護側から証人を申請して、実質的な審理に入るハズだったのです。

ところが、です。
つい先ほどですが、ある筋から次のような仰天ビックリの、緊急情報が入ってきました。
法務省がまた、圧力をかけてきて、明日の公判では、被告・弁護側の証人申請をすべて却下し、そこで、もう、裁判長には審理を打ち切らせ、その次の公判で検察側の論告求刑に入ることが、ウラで決まったらしい」

本来であれば、こういう刑事事件の公判(もちろん、民事も同様ですが)とは、「真実とは何か」を追求する場でしょう。お互いの主張に相違があるのなら、審理を尽くすことが、民主主義を構築するうえでは、必要不可欠なはずです。
しかし、そうした「手続き」を一気に葬り去ろうとする、デタラメとしかいいようのない訴訟指揮を、この高裁の裁判長はやろうとしている、というのです。
もっとも、これは裁判長に「罪」はないと思います。この前の一審の裁判長・宮崎英一のときと同様、「指令」は、もっと「上」から出ていることですので(笑)。しかし、一度ならず、「また」ですが、これでは、「裁判官の独立」、「司法の独立」など、あったものではありません・・・
古川利明の同時代ウォッチング 2006年10月25日より

そういや以前にも何だったかの事件で、判決文が事前に漏れてたといったことあったなぁ・・
posted by いんきょ at 12:52| Comment(0) | 国策・でっちあげ・自作自演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月03日

国の会計不正追及の石井紘基議員・刺殺事件

日本の国家予算は年間80数兆円程度となってるけど、これは単に一般会計部分のみの数字で、別に特別会計というのがあり実はこっちの方が一般会計の何倍もの金額になっているにもかかわらず、その内容について政府は一切公表せず、無駄遣いや特殊法人をめぐる政官業の汚職を生み出す温床になっている。
ただ、両方に重複してる分もあったりしてその仕組みはややこしく、素人にはわけがわからないようになってるみたいで、いわばそういうことをしやすくするために故意にわかりにくくしてるということも言えると思う。
(以前、或る人から聞いたけど、税金の仕組みを複雑にしてるのも、国民をごまかす目的らしい)

こういったことを民主党の故石井紘基議員が、全貌を明らかにしようとしたことがあり、その際 2002年10月25日、自宅前で暴漢により刺殺された。
当然 例によって、実行犯のみの逮捕で、真相の部分は闇に葬られてしまった。

故・石井紘基(いしいこうき)衆院議員のHPの中に、『「国民資産が紙屑になる日」本当の理由』というタイトルがある。開いて見ると中身は国会議事録だった。この中で石井紘基氏は、日本の国家予算について周到な調査を行ったうえで克明に述べている。

この議事録の中でおもしろいのは、石井氏が明確にする予算の数字に、当時の塩川国務大臣が当惑している様子がうかがえることだ。国家の予算を明らかにすることに何の不都合があるのだろうか。

故・石井紘基衆院議員が明確にした国家予算の内容を簡単に解説しておきたい。数字は平成14年度当時のものである。

日本の国家予算には、一般会計と特別会計がある。
われわれが普通、国家予算として知らされているのは「一般会計予算」だ。
これが、81兆円。

日本には、もうひとつ予算がある。
それが「特別会計予算」だ。
これが、なんと382兆円もある。

特別会計の中には、一般会計からの50兆円も含まれている。別個ではないのだ。また、特別会計は、かなりの重複分があるので、純計すると248兆円となる。さらに内部で移転するだけの会計が50兆円あるので、それを引くと200兆円になる。

たいへんややこしいが、
日本の本当の国家予算というのは約200兆円ということだ。

日本の税収というのは、約40兆円しかない。
では、残りの160兆円はどこで賄われ、何に使われているのか。


○石井(紘)委員 二百兆円、国税収入が税プラスその他でもって五十兆円になるかならないかというのに、二百兆円の予算を組まれているということは、これはすなわち国債の発行だとか、あるいは郵貯の資金二百五十五兆円、年金資金百四十兆円、あるいは簡保の資金百十兆円、その他の資金五十兆円というようなものを、投資とか融資に主として充てている。公共事業なんというのは、こういうものでもってかなり投資活動として行われているわけです。

つまり、日本の国家予算の大部分は、国民の財産を使っておこなわれる公共事業である、ということだ。毎年、160兆円も使うほどの公共事業が、はたして本当に必要なのだろうか。

http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/fd922af65b1f939538587fef0f26fa9fより

さて、2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で右翼団体守皇塾代表の伊藤白水に柳刃包丁で左胸を刺されたことになっているが、警察捜査やマスコミ報道、そして裁判・・・
いずれも例によって、表向きの処理・報道だけで、真相部分は闇に葬ってしまっている。
真の犯人ともいうべき おそらく暗殺を指示した権力者からの圧力によって・・

「週金」取材班
02・10・26・07時前 「公安3課と連絡を取りたい。」
逮捕時の弁解録取では「思想的な対立があった。」
身柄が捜査1課(刑事部)に移ると「怨恨」を主張。
当初は「200万円の家賃工面」
一転「2000万円を貸した。」
更に「今の供述は無かったことにしてくれ。」

10月29日(火)10時38分 毎日新聞の記事です。本日、また刺殺理由が変更されますた。
<石井議員刺殺>「事務所で寝泊まり断られ」伊藤容疑者供述 
民主党の石井紘基衆院議員(61)の刺殺事件で、殺人容疑で逮捕された伊藤白水(はくすい)容疑者(48)が今年9月に、転居先のあっせんを石井議員に依頼して断られたため、「事務所で寝泊まりさせてほしいと頼んだが、石井議員から車で寝たらと言われた。ばかにされたのかと思った」と供述していることが分かった。

ニューヨーク市立大・霍見教授のコラムより
「民主党の石井紘基議員の非業の死について、米国の指導的メディアは国粋右翼による政治的暗殺だと的確に報じた。「借金を断られて」という私怨の口実は見え見えの偽証だった。また石井暗殺は、1960年10月、同じ行動右翼による社会党の浅沼稲次郎委員長の暗殺に始まる戦後から今日までの国粋右翼による民主リベラルの政治家の暗殺の系譜の一環だとの解説だった。 日本の政治暗殺は自民党の保守右派に近いとささやかれる右翼の下請け人による民主改革派政敵の殺傷に偏っている。そして、この暗殺はその後、狙い通りの成果をあげて、昭和天皇の戦争責任論や日米安保体制による日本の対米隷属、憲法第9条の拡大解釈改憲、銀行の膨大な不良債権に絡むヤクザまみれの政官産腐敗、そして、日本の民主主義の退化などの批判がタブー視されてきている
(つまり、これらの批判や追求をする人間は殺すぞという脅しが効いてるということ!)

石井議員暗殺を米国から見れば、「自殺」と警察が早々と断定した新井将敬自民党議員の怪死や、同じく大阪駅近くのホテルで「自殺」と即断された銀行の頭取の変死にもつながってくる。日本の警察や検察は、とても「自殺」と即断されないほどの怪しい状況証拠があっても、お上に都合よく処理してしまう。米国のメディアは、諜報機関の資料を使って「悪い奴ほどよく眠る」日本の暗部にメスを入れている。政官産の汚職の核心に迫る者が出てくると、暗殺されたり、「謎の自殺」に仕立てられたりする。 、、、、」

更に霍見教授は怒りを込めて次のように結んでいる。
「、、、、怒りをおぼえる、との小泉首相談は、「白々しい」としか受け取られない。首相が本当に怒りを感じているのなら、遅まきながらも民主党と協力して議員や官僚の「ザル法でないあっせん収賄罪」を確立するのと同時に、自民党員や官僚、特に司法官僚と組織暴力団や国粋右翼グループとの近すぎる関係を清算すべきである。
石井暗殺は、日本が非民主的な法痴国の証とされている。主権在民の民主国では国民の基本的人権と裁判官の独立性(良心と憲法にのみ忠実に審理して、時の政官産の権力との癒着を避ける)を保障した憲法が主人公である。しかし、日本では、この憲法を無視する最高裁判事以下の司法腐敗によって、与党政治家と官僚が主人公なのである。石井暗殺も「狂った個人の蛮行」として、早々と処理される。

石井議員の妻のナターシャさんの証言
・主人に公用車がつくようになったのは災害対策特別委員長になってからで、事件の一週間ほど前のことです。公用車は数日前に時刻を指定する必要があり、スケジュールが公になる・・

・犯人が逮捕される前に、警察から伊藤の古い写真を見せられました。それはスキンヘッドで、横顔があの植木屋にそっくりでした。でも逮捕後に撮った写真は太っていて、白髪混じりに短いひげが伸びていました。
事件後、あるマスコミが近所の50軒余りに聞いてわかったことですが、あの朝、植木屋の営業を受けた家は一軒もないそうです。
実は逮捕の後も、家の周りを変な男がうろついているのを娘が見ています。最初は、警察の警備が解かれた翌日の朝8時半頃、二度目は11月4日の夜11時頃・・・

目撃情報とは背格好が違う点も謎だ。伊藤は10年前から石井事務所に出入りしており、代議士とは顔見知り。襲われた時、石井代議士が「誰だ!」と叫んだのも不可解である。
「週刊金曜日」

・今回の事件で一番奇異なのは、犯行に及んだ者が逮捕されていながら、返り血を浴びた衣服などの「秘密の暴露」が一切ないことだ。通常、殺人事件の場合、被疑者を逮捕すれば「誰も知り得ない自分だけの話」を開示する事になる。この「実は・・・」という暴露こそが犯人を裏付ける客観的かつ決定的な証拠となり得る・・・

・実は、自民党関係の政治資金に不審な点があり、それを徹底的に洗ってたところなんですよ。すでに何かをつかんでいたようでした。

「週刊朝日」
事件2日前本誌記者に語っていた
本誌記者が石井紘基代議士(61)と最後に会ったのは10月23日のことだった。議員会館ですれ違ったとき、「いい話があるんだ。書いてよ。これは間違いなくでかくなる話だから・・・」と耳打ちしてくれた。
「その話、でかいけどまたヤバイ話じゃないですか」と冗談で返すと、「まあな。俺、ヤバイことばっかやってるからな」と笑って答えた。
実はその数週間前にも、こんなことがあった。別の記者が民主党議員の秘書から、「石井先生のところに政界を震撼させるすごいネタが入ったみたいだ。当たってみるとおもしろいかも・・・」と聞かされたのだ。記者が石井氏に当たったところ、「まあまあ、そう焦りなさんな。いま証拠固めの最中だから。いずれ時期を見て国会で質問する。そのときは連絡するよ。これが表ざたになったら、与党の連中がひっくり返るような大ネタだよ」と言って、たばこをぷーっとふかした。
今回の凶行はまさに、石井氏が何か大きな疑惑を国会で追及する準備を始める矢先の出来事だったのだ。
(中略)
石井氏刺殺のニュースが永田町に流れると、同僚議員たちの脳裏にはさまざまな”疑惑”が浮かんだという。民主党関係者はこう話す。
「真っ先に頭に浮かんだのが、ある保守系大物代議士の産廃がらみの利権です。石井さんが調査を始めたと聞いていたので、『ついに、やられたか』って直感しました」石井事務所の関係者も、こう打ち明ける。
「実は、自民党関係の政治資金に不審な点があり、それを徹底的に洗っていたところなんですよ。すでに何かをつかんでいたようでした」石井氏と親しくしていた紀藤正樹弁護士も、悔しそうにこう話した。
「石井さんは一般市民の目でずっと政治を続けてきた稀有な政治家。彼は国会で質問することが国会議員の使命だと考えていた。彼に追及されて困る人は世の中にたくさんいる。利権に巣くっている人たちにとってみれば、彼がいなくなったことは大きなメリットです(後略)」

(解説=この記事の疑問。「これが表ざたになったら、与党の連中がひっくり返るような大ネタが産廃がらみの利権程度のものであるはずがない。産廃がらみの利権など日本中にある。大きな疑惑をそこに「オトす」ための記事なのか。もっと不思議なのは石井氏ひとりがこつこつと調べていたそのような疑惑を日本のマスコミは大組織を持ち取材網を持っているにも関わらず、どこも追及しないばかりかむしろ隠蔽の役割をしていたのではないか、ということである。)

以上の引用部分は、http://hayawasa.tripod.com/isiikoki11.htmより抜粋したものです。


死の前日の石井紘基

私は故石井氏には、彼が殺害される前日に、ある場所で会っている。個人的に会ったわけではない。某経営コンサルタントが開いている集会にわずかな時間来られたのである。
そのとき彼は持論の日本の税金の使い方のひどさなどについて話たのだが、国会で見られるような声の強さはなかった。
石井は数日前からおびえて過していたという。死ぬXX日前に暴漢にも襲われている。

証言

後日、身近な人間から話を聞く機会があった。

「あの日は、朝、庭がごそごそいうので、前に頼んでいた庭師かな? って思って、インターホーンで聞いたら『XXX』って言って行ってしまいました。窓から見ると坊主頭でバンダナを巻いた屈強な男でした」

石井はその日、某コンサルタントと会う約束をしていた。3日後に迫った国会の冒頭質問に係わるものであったであろう。それは日本がひっくり返るような質問になるはずであった::

「石井はひとつきで刺されました。下りてみると、ナイフを引き抜いているところでした。すぐに警察に電話をしようとしたのですが、最初は電話がぜんぜん繋がらなかったんです」

やっと電話がつながり、最初にパトカーが数台来た。しかし多すぎた。あとから来た救急車は道路をふさぐパトカーのおかげで、石井の家までなかなか辿りつかなかった。パトカーが道をあけなければならなかった。
(たしかに変やね! 普通は救急車の方が先に到着するw)
その間、石井は出血しつづけていた。

「不思議なのは、救急車にやっと乗って病院に向かった時間にすでにテレビのテロップに石井紘基死亡って流れていたんです。国会でももう、犯人は右翼の伊藤白水(はくすい)ってメモ書きが議員の間を行き来してました。
(まだなんの情報もない状況で既に犯人の名前が出回るとは予め準備してたとしか考えられん!)
伊藤はXX日前に怪我をして事務所に傷の手当てを受けにきたりしていて、そんな人が石井を殺すなんて!」

心臓をひとつきしたテロの犯行は、完全にプロの仕業である。伊藤周辺の人間のいうところでは、人を一つきで殺せるような男ではないという。

「普通右翼というのは、人を殺したら靖国神社へまず報告に行くんだ。でも、白水はそんなこともせずに高尾山に逃げて捕まったんだ。普通人を殺して数年して出てくれば右翼の生活は保証される」
 

調べていたこと

石井紘基が握っていた情報は、ある潰れそうな銀行、その銀行系の不動産会社、そしてRCC(整理回収機構)を結ぶ疑惑である
以下は私の推測である。

RCCから不動産屋に破格の安値で土地が流れ、それを市価で不動産会社は販売していた。もちろんその利益の1部は、ふたつの政党の誰かと誰かの懐に入っていたのだろう。

誰か? それはわからない。

誰も調べない

彼の暗殺後、この件にかかわる国会質問はなされず、民主党の別の議員が代役となった。国会に安堵の雰囲気が流れた

石井が心血を注いで調べた資料はダンボール箱数箱にのぼる。もちろん警察は調べるようなことはしない民主党の誰も調べない大手マスコミも調べない。そして、彼が持っていたメモ書きと資料は消えたままだ!

ぼくらはそんな時代のそんな国に住んでいる。

http://www.interq.or.jp/pacific/getjapan/jounal/ISIIKOKI.htmより転載

そして日刊べりタより
「消えた書類」は整理回収機構の不正関連!
       〜石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言 

当日「国会質問の最終準備を予定」特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)
そして情けないのは民主党!
事件直後は、故石井氏の後を引き継いで徹底調査・究明するといっておきながら、もはやまるでその気もないようだ・・・

まぁ、政治家の中にちょっと正義感に燃えて真剣に悪を追求しようという人間が出てきたとしても、それが一人、二人程度ではすぐにこうやって葬られてしまうっていうのが現実です。
それによって口を封じるとともに、他の者たちに対する見せしめ効果が強烈に残るということです。
そして司法(裁判官)もやはり、出世コースからはずされたり、命惜しさから、上から言われるがまま真実を暴こうとしない。正義が失われた世の中だ。
マスゴミも同様に、そういった真実・現実の本当の姿を国民に伝えようとしない、報じる勇気をもたない・・・

こういった恐怖の現実は、昨年騒がれた糸川議員に対する脅迫証言テープなんかを直接聞いてもらうと実感されるでしょう・・・
タグ:石井紘基
posted by いんきょ at 13:21| Comment(0) | 暗殺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月01日

チャベス大統領に対するマスコミの捻じ曲げた報道と、真実

NHK・BSプライムタイム(11月22日)
チャベス政権 クーデターの裏側
 より

<日本のメディアでねじ曲げて報道された4月政変の実像>
 2002年4月のベネズエラの政変を記憶されているだろうか。
日本のマスメディアが報道した内容はどことも、「チャベス大統領の強権的な政治に反発した民衆によるデモを警官隊が弾圧して10数人の死者を出したことが発端となり、チャベス大統領は退陣に追い込まれたが、チャベスを支持する軍部により大統領官邸が制圧されために、チャベスは大統領の座に復帰できたという事件であった…」といったものだった。


だが、真実はまるで違っている!!

チャベスは、1998年の選挙で、富の公平な分配を掲げて、大統領に選ばれた。
彼を支持した主な層は、これまで政治に無縁であった貧困層であった。
ベネズエラは石油の産出国であるが、
その利益は一部の人々にしか享受されていない。
大多数を占める貧困層や先住民族は、経済的に貧困な状態を強いられていただけでなく、政治的な無力感にもさいなまれていた。
何をやっても一部の人達だけが得をすることにしかならないという…

 (これは、今の日本の状況にも同じことが言える!)

しかし、チャベスの登場はそうした人々が積極的に政治に参加する道を切り開いた。
「憲法を読みなさい。」
これがチャベスが人々に何度も繰り返して説く言葉であった。
チャベスの支持者たちの団体、ボリバール・サークルは、人々に憲法を読むことを薦め、そこに記された国民の権利が実現できるよう訴えていた。小さな店先を舞台にギターを弾きながら演説をする人々の姿が映しだされる。

<石油を巡る熾烈な闘い>
チャベス大統領は、国営石油公社を私物化する特権層についに本格的な闘いを挑んだ。
国際社会から強い圧力がかけられてきたが、「たとえ地獄の門をくぐらなくてはならなくても私はやり遂げる。ベネズエラ国民を守るために!」と、その背後にいるアメリカとの闘いをも意識しながら・・・

2002年2月、彼は国営石油公社の役員人事に介入した(つまり、総裁や取締役を解雇した)。
ここから、本格的な闘いが開始された。

(中略)

4月10日、軍の幹部ネストール・ゴンザレス将軍は民放に出演して、チャベスの退陣を求め、「さもなければしかるべき処置をとる」とクーデターをほのめかすような発言をした。経営者連盟会長カルモナは、国営石油公社への介入は国民の財産を侵害するものだと批判し、自らの放送局を通じて、国民に反チャベスのデモを呼びかけた。

 4月11日、反チャベス派は、国営石油公社へのデモ行進を始めた。一方、大統領官邸前ではチャベスの支持者が集まって集会を行っていた。反チャベス派の指導者は、違法を承知で、デモ隊に官邸前への進路変更を呼びかけた。カラカス市長フレディ・ベルナルは、群集の衝突で流血の惨事を招きかねないこの無責任な煽動を非難し、「我々はあなた方の挑発に乗らない」と宣言した。しかし、反チャベス派のデモ隊は周囲の器物を破壊するなど次第に激しさを増しながら、ついに官邸前に姿を見せた。すると、そこにいたチャベス派の群集も興奮しだした。
「ノー・パサラン!(奴らを通すな)」
両派の衝突を防ぐために、警護にあたった兵士たちは間に入った。

<仕組まれた殺戮、そして捏造>
 そこへ突然、銃声が聞こえた。何者かが群集を見下ろす位置から身を隠して発砲しているようであった。
犠牲者はすべて頭を狙い撃ちされた。
人々は逃げまどい、そして、狙撃犯がいると思われた所めがけて反撃しだした。ベネズエラでは一般市民も銃を携帯できるのである。この時の陸橋から拳銃を撃つチャベス派の人々の姿が、民放で繰り返し繰り返し報じられた。非武装のデモ隊に向けられたものとして・・・
しかし、元民間放送局員アンドレス・イッサーラは、民放が決して放映しなかった真実を示す。
この場面を別のアングルから撮った映像では、彼らが銃を放っていたはずの陸橋の下にはだれも存在していなかったのである! 
まさに捏造そのものであった

彼ら自身も狙撃に対して身を伏せながら応戦していただけなのである。
(これは、映像を見てもらうとよくわかるけど、つまり彼らを見下ろす位置から銃撃されてる方向に対して応戦してるだけで、そっちには誰も人影が見られません。
反チャベス派デモ隊に向けてチャベス派が発砲したように報道してるというのは真っ赤な嘘!
彼らが橋の上で伏せながら応戦してる映像と、別のデモ隊の映像をつなげ合わせた完全な捏造です!
そして「何者かが群集を見下ろす位置から身を隠して発砲していた・・」というのも、おそらくそういう事実を作り上げるために、変装したアメリカかコロンビアあたりの兵がやったという可能性が極めて高いと思われ、いかにも自作自演でメディア操作することが得意なアメリカらしい作戦です)

イッサーラは、このような真実を覆い隠し、チャベス派の発言を一切取り上げようとしない民放の姿勢に抗議して、退職した。

しかしながら、この虚偽の映像をたれ流すことによって、この事件の責任はすべてチャベス政権にあるというデマ宣伝は功を奏した。
そして、これまでチャベスを支持していた軍も支持の取りやめを表明した。国営放送も反チャベス派に占拠され、大統領官邸に集まったチャベスとその閣僚たちは外界から完全に閉ざされた。
反チャベス派の将軍たちは大統領の辞任を求めた。辞任しなければ大統領官邸を爆破するとの脅迫をもって。しかたなく、チャベスは官邸爆破を防ぐため、軍に拘束される道を選んだ。
ただし、辞任要求にはあくまでも屈せずに。

環境天然資源相のアナ・オソリオは、その場にいる人々に、
「大統領は辞任していない。辞任しないまま軍に拘束される。この事実を全世界に知らせなければ。」と報告し、叫んだ。
「これはクーデターよ! 彼を愛する国民を裏切るクーデターよ!」
 拘束されていくチャベス大統領はつぶやいた。
「あきらめないぞ。」
 誰かが声をかけた。
「大統領、必ず逆転します。まだ終わりじゃない。」

チャベスの支持者は口々にこのクーデターを批判しはじめたが、それらの人々には、たちどころに銃弾が浴びせかけられた
逃げる人々に後ろから銃を撃つ兵士、道路脇に倒れている人、取りすがって泣く人、シャッターを閉め、恐怖に打ち震える人々…。
 そうした映像に、カルモナの言葉が覆い被さる。
「一連の手続は非常に民主的に行われた。」
「この国は正常化しつつあります。」

<「チャベス 国民はあなたの味方だ!」>
 国営放送をも奪われ、発信する手段がなくなったかに見えたチャベスの閣僚たちは、ケーブルテレビを通じて、国民に事件の真実を訴えた。
チャベスは辞任したわけではなく、軍に拘束されているのだと。
これを知った人々が続々と通りに出てきた。
「チャベス 国民はあなたの味方だ!」
「チャベスは辞任していない! 捕らえられているんだ!」
「憲法に書いてある。大統領を辞任させられるのは国民だけだ!」
 口々にチャベス支持を訴える人々が、大統領官邸前に集まって周囲を取り囲んだ。
得意げに多数の報道陣に向かって話していたカルモナ派の人々が急にそわそわしだした。


(中略)

 <「君たちと国民は歴史を作った。」>
4月14日、ついに軍の大勢がチャベス支持に傾いた。
チャベス大統領は軍のヘリコプターに乗せられて帰ってきた。
「君たちと国民は歴史を作った。」これが閣僚たちに対する彼の第一声だった。
 そして、国民にこう呼びかけた。
「冷静になってくれ。」「今君たちに必要なのは家に帰って心を休めることだ。」
 過酷な目に遭わされたにもかかわらず、拍子抜けするほど穏やかな言葉であった。
反対派に言いたい。反論は大いに結構。私はあなた方を説得できるよう努力する。しかし国民の規範である憲法に背く行為は許されない。憲法はすなわち共同体の基本だから。」
最も大事なのは一部の人のうそに惑わされないことだ。」

<アメリカの世界支配、その二つのやり方>
 カルモナをはじめこのクーデターの関係者の多くはアメリカに逃亡した。それは、今回の事件もアメリカが背後で糸を引いていたことを暗に示している。
 アメリカ政府はクーデターへの関与を表向きは否定した。しかし、パウエル国務長官は「アメリカが支持するのは民主的社会だ。チャベス大統領とは今後も意見の相違があるだろう。」と、あくまでもチャベス政権を非民主的なものと決めつけて映像は終わる。
 今回は失敗したが、アメリカの背後での介入、現地の親米反体制派と結びついて反米政権を転覆する策動は、今後も続くであろう。これはアメリカ帝国主義が反米政権を打倒して世界支配を貫徹する二つの方法のうちの一つである。もう一つの方法というのは、言うまでもなく、イラクで行われているような直接の軍事侵攻と軍事占領支配である。

当時ベネズエラでは国民の七−八割が貧困層で、このうち半数は一日一ドル以下の生活。非就学率は30%に達し、六割の国民が医療の恩恵を受けていなかった。

その後、反チャベス派によるクーデターなどを乗り切ったチャベス政権は、輸出量世界五位を誇る石油の収益をつぎ込み、貧困対策を次々に打ち出した。
(チャベス以前は富裕層が利権を握り、貧困対策に使われたことはなかった。)

■無料医療・給食 生活品は半額
それは、
▽キューバ人医師約二万五千人を受け入れ、全国の貧民地区で無料医療活動
▽百五十万人の非識字者を対象にした識字教育
▽大学教育希望者や中学課程未就学者への支援(夜間学校など)
小学校の無料給食
▽全国二千カ所に市価の約半額で生活必需品を売る「メルカル」開設
▽女性グループに起業資金を低利で融資する「女性銀行」制度の新設

−などだ。

東京新聞

2004年4月21日。ベネズエラのウゴ・チャベス・フリアス( Hugo Chavez Frias)大統領は、カラカスでの支援者を前にした国際集会で、遺伝子的に組み換え農作物は、農民や農業労働者たちの利益やニーズに反すると警告、ベネズエラには20万ヘクタールも遺伝子組み換えの大豆を作付けるモンサント社の計画があったのに、プロジェクトを止めるよう命じた
チャベスは、西半球において、遺伝子組み換えの作物に対する最も徹底的な規制を確立。「遺伝子組み換え作物の栽培はベネズエラの大地の上では禁止される。モンサントに栽培を認めるかわりに、これらの畑は、在来作物キャッサバを作付るために使われるだろう。そして、世界中の百姓たちの運動のために、在来品種を保存するための大規模な種子バンクを創設する」。
こう脱遺伝子組み換え農作物宣言をしてのけたのだ。

http://www14.plala.or.jp/Cuba/estudio04.htm


ただし今、ベネズエラは混乱が続いており、なかなかチャベスの理想実現への道は険しそうだ。
アメリカは当然、政治的・経済的に圧力・妨害をかけているだろうから、必要な食料等の輸入も思うだけ確保できないのだろう。

詳しいことは、また機会をみて調べてみたいと思ってます。

あとは、ビデオを見てください。
まず最初のビデオは、最初の長い引用記事中にある「非武装のデモ隊に向け、彼らが銃を放っていたはずの陸橋の下にはだれも存在していなかった」という証拠映像です。(音声うまく変換できませんでした)
あとの二つは、2002年クーデターでチャベスが捕らえられた際、圧倒的多数を占めるチャベス支持派の国民たちがチャベス開放を訴えてるデモの様子〜それまでアメリカに扇動されてた軍・警察も真実に気付き、チャベスを解放した時の映像です。 この時のチャベスの笑顔がすべてを物語ってると思います。




タグ:チャベス
posted by いんきょ at 21:46| Comment(0) | 海外でっちあげ・自作自演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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